ある言語の母語話者がいなくなるとその言語は消滅する、というのが言語学の通説である。アングロノルマン語―中世にイングランドで使われたフランス語―のパラドックスは、母語話者がいなくなるにつれて、実際にはその重要性が増したということである。よく引用される 14世紀初頭の年代記編者、ヒグデンは、フランス語がイングランドの主要言語として英語に取って代わる可能性さえ提唱している。
この逆説的な状況はどのようにして可能になったのだろうか。 フランス語はラテン語のように何年もの学問的研鑽によって死語としてイングランドで伝播したのではなかったし、フランス語の母語話者はノルマン人征服時代の数世代のごくわずかな数だったとたいていの専門家は考えている。しかし教室での教授もなかったし、母語話者がほとんどいなかったにもかかわらず、アングロノルマン語は国の主要な公務用語として300 年ほど生き延びたようである。当初12世紀には娯楽のための文学の用語になったが、その後 13世紀には行政および法律の記録に使われるようになり、一部ラテン語に取って代わった。フランス語が得た、その他の書き言葉は、科学技術論文、処方箋、調理法、説教、商業通信文等がある。アングロノルマン語の初期の研究者は、アングロノルマン語が時とともに法律家その他が使う一種の職業語になり、だんだんフランスのフランス語とは異なっていったと思っていた。しかしこの説は、後期アングロノルマン語が主語と定動詞の語順および不定詞が統率する目的語名詞に関して大陸のフランス語の統語の発展にかなり密接に従ったことを示す筆者の研究によって、妥当性を疑われるようになった。また筆者は14世紀アングロノルマン語の名詞の性 が無視されているように思われるのは、unとune、celとcelleのような限定詞の音韻中和によって起こった錯覚であることも示した。sonとsaのように限定詞が明確に異なる音価を保った場合は、 のちの 法律フランス語
においては衰えたが、14世紀中のほとんどのアングロノルマン語の議会への請願書において、フランス語の性の区別はほぼ100% 尊重された。アングロノルマン語はフランスのフランス語に比べて非常に変わっていたという従来の概念は 、言語領域内の方言の違いがほとんど、あるいはまったく無視されて考慮されている場合が多い。アングロノルマン語の文法には、実際他の中世フランス語の方言と類似していると思われる、多くの特徴がある。
アングロノルマン語が長く生き延びたことは、生きた言語は初期 (就学年齢前)の言語習得の過程を通じて母語話者によって伝えられるという通常の概念に疑問を投げかけているように思われる。アングロノルマン語はどのようにして12世代かそのくらいにわたって伝えられたのだろうか。アングロノルマン語の教室での教授の形跡は最終的な衰微の直前、14世紀後半になってようやく現れる。アングロノルマン語の「サポートシステム」は間違いなく上流階級の間で、おそらく一種の子どもの第二言語習得として社会に存在した、半自然な言語習得手段だったに違いない。
アングロノルマン語についての詳細はウェールズ大学アベリストウィス校(University of Wales at Aberystwyth)のAnglo-Norman Hubサイト(www.anglo-norman.net)にあります。